落ちこぼれのくせに京大を志望した理由 | haigaki reports.

僕は基本的にどこにいっても落ちこぼれます。

このタイトルに関係することと言えば高校時代ですね。
これまでにすでに記事にしている通りこの時も結構ひどいです。

記事を見ていない人もいるので簡単に言うと、不登校の生徒のぞいたら学年で一番下でした。
普通に(時々は寝ながら)授業を受けていたにもかかわらずです。

🔗『進学校で落ちこぼれた時の話。部活への逃避と転校の危機、不合格と嫉妬。』
🔗『京大生の高校時代の評定平均公開。国立大学入試に学校成績は必要か。』

 
それで本題ですが、落ちこぼれていたことと京大を志望したことは直接繋がりはありません。

落ちこぼれじゃなかったとしてもそういった有名所を目指していた気がするし、
むしろ落ちこぼれじゃなかった方がずっと有利に受験勉強を進められたんだろうなって思います。

たしかに、学校で落ちこぼれだったからこそ変に学校や予備校には期待せず、自学自習に絞って受験勉強をすると割り切ることができたということは言えます。

それ自体はいいアイデアなんですが、 何れにしてもどのような立場の学生にとっても勉強というのは個人で頑張るものだと思うし、

僕の頭が良かったとしても授業を有効活用しつつもそのように行動していたと思います。

 
それで、タイトルの『京大を志望した理由』は単純にその大学がかっこいいと思ったからです。

落ちこぼれから逆転してやる、周りを見返してやるっていうような反骨精神ではありません。 だから合格後に自分の進路のことを家族以外の誰にも話すこともありませんでした。

母校にもです。

むしろ順番は逆で、この時の結果論として落ちこぼれでも努力と工夫でなんとかなる
というこのブログでもときどき書いているような信条を持つようになった具合です。

 
僕はときどき執着します。

 
例えば今だったら『ご注文はうさぎですか?』というアニメに執着しているし、

学生時代は動画配信や英語に執着していました。
趣味のバスケに関しては周期的に執着しています。

それらのコンテンツは全てその時の僕が本当に面白いと思ったこと、僕の目に確かに魅力的に映ったものです。・・・※

その対象というのはその時の気分によるところが大きく、また、数ヶ月~数年の間隔で移り変わります。
今はごちうさの他にはこのブログに執着しています。

それで、大学のことに話を戻すと、
現役生の時に別の大学を落ちてその後にたまたま『京大』にその執着のターンが回ってきたということです。

たまたまといっても僕は一応進学校に通っていましたし、関西に住んでいたことから、
もともと僕の好奇心のアンテナにかかりやすかった関心の対象ではあります。

 
先ほども書いたようにその大学を目指した最初のきっかけ(※の部分)はただ単にかっこいいと思ったからです。

今改めてそのことを考えると客観的に見れば別にかっこいいということはないですし、ちょっと有名な学校の1つに過ぎません。
留年して7年間、小学校以上の期間在籍したわけですから愛着は結構あります。

客観的に見れば別に大したことはないことでも、その時まだ18歳だった僕には非常に魅力的だったんです。
執着する対象として不足ないと無意識の内に認めていました。

受験を経験した人にはわかると思いますが、そこしかない!って思い込んでしまうんですよね。
僕の場合はその力がかなり強かったです。

 
そういった軽はずみな志望動機を好ましく思わない人もいました。

就職活動の時です。 なんでその大学なの?って聞かれた時に素直に上のようなことを話したら難色を示す人たちがいました。

(大学の先輩ではありません。)

その気持ちもわかりますけど。

軽はずみだとか、考え方が安直だ、子供っぽいと思うんじゃないでしょうか。

  僕からすると、まず第一に、男なら自分がかっこいいと思う道に進むのは当然でしょ。って感じです。

別に女でもいいですよ。

そして第二に、かっこいいというのはあくまで入り口であって、そのあとの執着の部分こそが重要なんですよね。

 
以上の通り、落ちこぼれのくせに難しいところを目指した理由は単純にかっこいいと思ったから。

そして、そのための勉強を続けられたのは、その単純な動機をきっかけにして1年間はその対象へ執着していたからです。

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